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東京地方裁判所 平成元年(ワ)13006号 判決

原告

大原明こと

秦君錫

右訴訟代理人弁護士

大隅乙郎

被告

川田博之

右訴訟代理人弁護士

西林経博

主文

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物について、被告の費用をもって、次の内容の修繕をせよ。

(一)  二階屋根のセメント瓦のずれないし割れの部分を補修し、割れの生じている瓦について従前と同品質又は同程度のセメント瓦と交換する。

(二)  一階便所・玄関・台所の上のさしかけ鉄板葺屋根を、従前と同品質又は同程度の鉄板で葺き替える。

(三)  右鉄板屋根と取合いとなっている二階北側外壁の生子鉄板を、従前と同品質又は同程度の生子鉄板と取り替える。

(四)  南側外壁妻壁の最上部の白塗壁のひび割れ部分を充填材をもって、充填する。

(五)  雨樋について、軒樋、立樋とも、損傷部分及び破損部分を補修し、交換する場合には同品質又は同程度のものと交換する。

(六)  二階南西側和室の天井板のうち、剥離したり、割れているものについて、従前と同品質又は同程度の天井板と交換する。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求める裁判

一請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物につき、別紙修繕目録記載のとおり、被告の費用をもって修繕せよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二事案の概要

本件は、①賃貸人たる被告に別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)について別紙修繕目録記載のような修繕義務があるかどうか、②本件建物は修繕不能の状態にあるのかどうか、そのような状態での修繕義務の履行請求が権利の濫用に当たるか否かが争われた事案である。

一当事者間に争いのない事実

1  原告は、昭和五二年一二月三〇日、被告より本件建物を次の条件で賃借した。

(一) 賃貸借期間 昭和五二年一二月一日から同五四年一一月末日まで二年間とする。

(二) 賃料    一ケ月五万三〇〇〇円

(三) 使用目的  居宅

(四) 修繕義務  本件建物の部分的な小修繕は賃借人が費用を負担して自ら行う。

2  賃料は、昭和五九年七月一日から一ケ月六万五〇〇〇円、昭和六三年四月一日から一ケ月九万七〇〇〇円と改定された。

3  本件建物についての賃貸借契約は、右期間満了により法定更新され、期間の定めのないものとなった。

二争点

1  原告の主張

賃貸人たる被告には、別紙修繕目録記載の修繕箇所を修繕内容に従って修繕すべき義務があるので、原告は、被告に対し、民法六〇六条一項により、被告の費用をもって修繕することを求める。

2  被告の主張

本件建物は、昭和四一年に最低の資材をもって建築されたもので、現在では傷み具合は著しく、到底修繕に値しない程度に達している。原告が求めている修理を実施すれば、指摘の箇所以外に随所に修理箇所が発見され、これら全てを修理すれば新築同様の費用がかかることになろう。このような場合には、最早家屋の修理義務は生じないものと言うべきである。

また、原告指摘の修繕を実施するとすれば、結果的には、二階屋根の全面的な葺替え、外壁の生子鉄板の全部張替えにならざるを得ず、その費用は約三五〇万円を要することと予想されるので、現在の家賃額からは三年間無料で賃貸することとなり、経済的にも修繕不能である。

このような状態で被告に修繕を求めることは権利の濫用に当たり許されない。

第三争点についての判断

一本件建物の賃貸借関係

証拠(〈省略〉)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和四二年一月降旗清作から本件建物の二階部分を、次いで昭和四八年一一月二二日に一階部分をも賃借するに至ったこと、原告は、右降旗が死亡したため、昭和五〇年一一月二三日契約更新の際には、同人の相続人平尾志津子と賃貸借契約を締結したこと、昭和五一年一〇月二八日平尾が本件建物を被告に売却したため、昭和五二年一二月三〇日には、被告と本件建物の賃貸借契約を締結するにいたったこと、本件建物の賃貸借契約においては、昭和五〇年の契約時から、建物の部分的な小修繕を賃借人が自己の費用をもって修繕する旨の約定が定められるに至ったことが認められる。

二本件建物の現況

1  証拠(〈省略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件建物は、昭和四一年一二月に新築された木造セメント瓦葺二階建建物(一階39.62平方メートル、二階34.66平方メートル)であり、北側で幅員約四メートルの公道に面し、東側で幅員約2.26メートルの私道に面した建物であって、一階は六畳の和室、七畳の洋室、台所、便所から成り、二階は4.5畳の和室三室及び便所から成る建物である(その構造は、別紙1階平面図・2階平面図のとおりである。)。

本件建物の質は木造建物としては、平均を下回っており、現況の朽廃は着実に進んでいるものの、その程度は、築後二四年経過した建物としては相応の朽廃の程度であり、建直しの時期には来ていない。

(二) 本件建物の二階屋根は切妻(棟が南北になっている。したがって、屋根は東西に流れている。)で、セメント瓦葺であるが、瓦のずれないし破損のため二階南西の四畳半の和室(その南西角に近い部分)に雨漏りが生じている。

この雨漏りのため、右屋根の天井に染みが出ており、また、天井板が剥離したり、割れが発生している。

(三) 本件建物の外壁妻壁の最上部の白塗壁部分にはひび割れが発生しており、充填材による漏水防止をする必要が生じている。

また、本件建物の雨樋は、屋根回りの軒樋、立樋とも一部破損しており、部分的な補修を要する状態にある。

(四) 本件建物の外壁最上部の白塗壁以外の外壁は、生子鉄板で覆われているが、全般的に錆が浮き出しており、老朽化がかなり進行している。特に、各戸袋部分及び東側外壁の最下端部の腐食が大きく、欠損が進んでおり、また、二階北側便所の窓の周辺は腐食により穴が開いている状態にある。

(五) 一階の北側にある玄関及び台所の屋根はさしかけとなっており、鉄板葺となっているが、玄関及び台所に、雨漏りが生じている。

この雨漏りの原因としては、鉄板が腐食したためか、鉄板の継続部分が緩んで空隙が大きくなったためか、鉄板屋根と二階外壁との取合部分の雨仕舞に損傷が発生したためか、二階外壁部分より雨水が侵入し、壁の内部を伝わって漏水したものか、そのいずれかであると推測されるものの、そのいずれの原因によるものであるかの特定はできない。

(六) 一階東側の洋間の床部分が床下地部材の異常により、上下に弾むように揺れる状態になっている

(七) 一階洋間と和室の間仕切壁の上部が洋間側に倒れており、中央の間仕切柱は鴨居の位置で3.5センチメートル倒れている

また、二階南東側の和室の壁仕上材が一部剥がれてめくれており、下地の古い仕上げが露出している。

(八) 内外部の建具は動きが悪くなっている箇所もあり、全般的に建付けの調整が必要な状態にあり、特に、一階南側の雨戸は一部欠損し、老朽化も進んでいる。また、一階南側の掃出引違戸及び玄関入口の引違戸は損耗が進んでいる状態にある。

(九) 本件建物の便所は、昭和五四年五月頃水洗化され、その際、被告もその工事費用の半分を負担したものの、それ以外に、被告を含む家主側で新築以来修繕費を支出して修理をしたことはなく、かえって、原告が解体業者であることもあって、原告が自己の費用と解体の際出る廃材等を用いて、本件建物の補修を行ってきた。

以上の事実が認められる。

2  右によれば、本件建物は、老朽化が進んでいるものの、未だ建直しの必要な段階に至っていないところ、本件建物には、原告主張の修繕目録各記載のような各所に修繕を要する部分が発生していることが認められる。

三被告の修繕義務

1  被告は、本件建物の賃貸人として、賃借人たる原告が本件建物の使用目的である居宅(この点は、当事者間に争いがない。)として使用し、健全、良好な生活を維持するために必要な修繕をする義務があることは当然である。

ところで、前記したように、原、被告間の本件賃貸借契約においては、建物の部分的な小修繕は、賃借人が自ら費用を負担して行う旨の特約があるから、家主の修繕義務を負う部分と、賃借人が自己の費用をもって修繕すべき部分との調整を要する。

他方、証拠(〈省略〉)によれば、賃借人が建物の改造、造作、模様替等の建物の現状を変更しようとするときには、賃貸人の書面による承諾を受けなければならないものとし、これに反したときは、無催告で賃貸借契約が当然消滅する旨の特約も存在することが認められる。したがって、原、被告間の本件賃貸借契約上、本件建物を居宅として使用継続するに必要な修繕のうち、小修繕に当たるものの修繕について賃貸人たる被告に修繕義務はないが、建物の改造、造作、模様替等建物の基本構造に影響すべき現状を変更する修繕部分は、被告の負担すべき義務の範囲に属することが明らかである。もちろん、本件建物のような築後二四年を経過した建物にあっては、築後相応の朽廃が進行していることは当然であって、賃貸人としても新築同様の程度にまで建物を修繕すべき義務は存在しないことは言うまでもないが、その築後の建物に相応する程度の使用継続に支障が生じているときには、健全、良好な居宅としての提供義務が免除されるものではない。

また、賃貸人側で修繕を要するものであっても、その修繕に多額の費用を要するもののうち、現状のままでも賃借人側の受ける損失は小さいものにあっては、賃借人において現状を甘受しなければならないものもある。

したがって、要修繕の部分であっても、原告が自己の費用をもって修繕すべき小修繕部分、築後の経年の結果による不都合であって、いずれ修繕工事が不可避となるものであっても、現時点では使用に差し支えのない部分、賃借人側に原因のある部分及び賃借人たる原告において修繕の施行を宥恕すべきものについては、賃貸人たる被告に修繕義務はないものと言うべきである。

2  証拠(〈省略〉)及び弁論の全趣旨によれば、二階屋根部分の全面的葺替えには約六四万円余の(原告の主張程度の補修であれば約六万円の)、一階玄関のさしかけ鉄板葺屋根の葺替えには約七万円の、外壁の生子鉄板の全部張替えには約四二万円余の、南側外壁白塗壁のひび割れ部分の充填に約二万五〇〇〇円の、雨樋工事に約七万八〇〇〇円の、一階洋間の床工事に約二二万七五〇〇円の、一階洋間と和室の間仕切部分の工事に約三一万二〇〇〇円の、二階和室の天井、壁工事に約一六万九〇〇〇円の、一階南側の雨戸、掃出引違戸及び玄関の引違戸の工事に約五〇万円の各費用を要し、この外、これら工事に伴う庇工事に約一九万八〇〇〇円、仮設工事に約二六万二五〇〇円、雑費として六五万円余を要するものと見込まれることが認められる。

3  2の事実を参酌して、以下、原告主張の本件建物の要修繕部分のうち、被告が修繕義務を負うか否かについて検討する。

(一) 原告主張1の「二階屋根」の補修工事は、現実に雨漏りが発生しているのであるから、被告は、その修繕を実施すべきである。〈証拠〉中には、本件二階屋根の補修工事実施に伴い、結果的には全面的葺替工事にならざるを得なくなるとの予測が記述されているところであるが、原告が求めているのは全面的取替工事ではなく、単に補修(点検、調整及び割れ部分の交換)にすぎないので、原告の請求限度で認容するほかない。

(二) 原告主張2の「一階玄関上の屋根の葺替え」及び3の「右屋根の取合いとなっている生子鉄板の取替え」の補修工事は、玄関及び台所に雨漏りが生じ、その原因が屋根にあるのか、二階外壁の生子鉄板にあるのか(二階便所脇の生子鉄板には、前記しているように穴が開いている。)、屋根と生子鉄板との取合部分の雨仕舞いにあるのかのいずれかであると予測されるので、鉄板屋根の葺替え、その上の生子鉄板の張替えに関する修繕を求める原告の請求は理由がある。

(三) 原告は、右の部分の生子鉄板の張替えのほか、全面的に張替えを主張する(修繕目録4)。確かに、外壁の生子鉄板は、全面的に老朽化し、錆が浮き出ており、特に各雨戸の戸袋部分や、一階東側の最下端部の腐食は大きく欠損が進んでおり、いずれ遠からぬうちに全面的張替えの時期が到来するものと予測されるが、これらは経年性のものであり、費用の負担も大きいことに鑑み、雨漏り等の具体的危険性のないものである限り、原告側で甘受すべきところであるので、二階北側部分(戸袋部分を除く。)の張替えを除き(これは(二)で認容済みである。)、現時点で被告に修繕を求めることはできないものと言うべきである。

よって、原告主張の修繕目録4記載部分に関する請求は理由がない。

(四) 原告主張修繕目録5の「南側最上部の白塗壁部分」にひび割れが生じており、雨漏防止のためにその充填が必要なことは明らかであるから、その補修を求める原告の請求は理由がある。

(五) 原告主張修繕目録6の「雨樋」について一部損傷があるので、その補修が必要なことは当然であるから、その修繕を求める原告の請求は理由がある。

(六) 原告は、本件建物一階洋間の床部分の修繕の必要性を主張する(修繕目録7)。確かに、右床部分が床下地部材の異常により上下に弾むように揺れる状態になっていることは前記のとおりであるが、右工事には多額の費用を要することは前記のとおりであり、これと原告が受ける不利益とを対比すると、被告の負担が大きすぎ、現状を原告において甘受すべきものと言うべきであり、この部分の修繕を求める原告の請求は理由がない。

(七) 原告は、本件建物一階の洋間と和室の間仕切部分の修繕を主張する(修繕目録8)。確かに、間仕切りの上部が洋間側に倒れており、中央の間仕切柱も倒れていることが認められるが、その修復には前記したように多額の支出を要するところ、証拠(〈省略〉)及び弁論の全趣旨によれば、これは、二階の荷重のために生じた経年性の傷みによるものであり、また、間仕切柱は原告が補強のために設けたものであることが認められるので、被告の負担に鑑み、現状を原告において甘受すべきであり、この部分の修繕を求める原告の請求は理由がない。

(八) 原告は、本件建物二階南西側和室の天井板の交換を求めているところ(修繕目録9)、この天井板は雨漏りのために染みが出たり、剥離したり、割れが生じたと言うのであるから、この交換を求める原告の請求は理由がある。

(九) また、原告は二階南東側和室壁の張替えを主張する(修繕目録11)。確かに、二階南東側和室の壁が一部剥がれてめくり上がっているが、これは早い段階で小修繕義務を負う原告が修繕していればかかる事態にならなかったものと推認されるので、この部分の修繕は原告において実施すべきであり、この点の修繕を求める原告の請求は理由がない。

(一〇) さらに、原告は、一階南側雨戸の取替え、一階南側掃出引違戸及び玄関入口の引違戸のアルミ製建具との取替えを主張している(修繕目録12ないし14)。確かに、一階南側雨戸は一部欠損し、老朽化も進んでいること、一階南側の掃出引違戸及び玄関入口の引違戸が損耗が進んでいることは前記のとおりであるが、これらは経年性の老朽化によるものであり、ある程度の不都合は原告において甘受すべきものであり、また、小修繕義務を負う原告が常日頃微調整のための修繕を加えていればかかる事態にならなかったことも推認されるので、この点の修繕を求める原告の請求は理由がない。

4  以上被告に修繕義務が課されるのは、右のとおり、原告主張の修繕目録1ないし3、5、6及び9記載のものに限られるが、このうち、新しい瓦、鉄板等との取替えを要するものについては、同品質のものが存在すればそれによるべきであるが、それが容易に手に入らないときは同程度のもので代替するほかないことは当然である。したがって、その限度で認容する。

四被告の主張について

被告は、原告主張の修繕義務を履行するために多額の費用を要するので、修理不能の状態にあり、そのような状態での修理義務の履行請求が権利の濫用に当たる旨主張する。

確かに、前記認容された被告の負う修繕義務の範囲によれば、被告が出捐を要する費用は、少なく見積もっても被告が原告から支払われる賃料の数ケ月分を超えることが明らかであるが、右程度の支出を要する状態では修理不能の域に達していると認めることはできず、さらに、前記認定しているように、水洗便所の工事費の負担のほか、本件建物新築以来、被告を含む賃貸人側では本件建物の修繕費を支出したことがないというのであるから、今回の支出がある程度の額となっても、それをもって賃料との均衡を欠くものとすることはできない(賃料との均衡を失すると言うのであれば、未だ建直しの時期が到来していない本件建物にあっては、賃料の増額の方法によって調整されるべきである。)。

また、前記しているように、本件建物は築後二四年を経過しており、老朽化が着実に進行しているが、建直しの時期には達していないと言うのであるから、借家人に居宅として良好な居宅を提供すべき家主の義務は軽減ないし免除されるものではない。

このほか、被告の権利濫用の主張を根拠付ける事情の存在を認めることができない。

してみると、被告の主張は理由がない。

五よって、原告の請求は、前記認容の部分に限り理由があるのでその部分に限り認めることとし、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官田中康久)

別紙〈省略〉

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